白馬青木湖キャンプツー MAP
2009/07/18(土)〜20(月)
青木湖大向キャンプ場(長野県大町市)
初日
梅雨が終って長野は白馬の青木湖大向キャンプ場に行ってきました。天気予報では現地は雨との事。しかし、雨だからと言ってやめるわけにはいきません。本当は福島のシルクバレーキャンプ場に行くつもりで居たのですが、連絡を取ると皆さん長野行きとの事で急きょ青木湖でのキャンプに参加させていただくことになりました。
朝、早く目が覚めてしまったので5時には出発しました。時間的には余裕があるので関越道も信越道ものんびり走ってきました。しかしここでアクシデントです。どこかで財布を落としてしまいました。無一文になってしまいました。
それはいいとしてもカード類が入っています。ガソリンも残りわずかです。
現地て誰jかにお金を借りるまでなんとかもってくれ。アクセルワークに気を使いながら走行します。
何ということだ!。
11時。無事に現地に到着。ガソリンは何とか持ちました。まだ、誰も到着していません。
管理人さんに「みんなが集まったら払いに来ますね」と苦しい言い訳を言って入場です。
雨の中、テントを張ります。青木湖すぐ湖畔です。天気が良かったらさぞかし良い景色でしょう。
そうこうているうちにY内さん到着。いつ購入したのか私と同じメガホーンです。
以前、三春で、「インデアン村が出来たら面白いね〜」なんて言っていたけど、本当にできそうです。
あと、Y野さんのオレンジホーンが着たらなかなか見ものでしょう。
大向キャンプ場は青木湖の西側で5〜6軒あるキャンプ場の中ほどで、赤松林の中にあります。
豪華では有りませんが、清潔なトイレと水場があります。テントサイトは湖に面した場所で子砂利が敷き詰められています。二日間台風のような雨でしたが水はけが大変良かったです。
早く到着してしまって、しかも雨なのですることが無く、キャンプ場内で雨中の草木を写真に収めます。
雨の中の草木は普段と違ってツヤツヤしています。ソテツのような草やサトイモ系の草が雨の中ではきれいに見えます。
下道をトコトコ走りY野さんが到着しました。最近はトライアンフのタイガーを軽々操りここまでやってきました
メガホーンが三張りも立ってしまいました。ミニインディアン村完成です。
UD川さんも到着。今日は息子さん(将来の)と一緒にご来場です。
息子さん?はヤマハのドラッグスター400でこられました。アメリカンは足つきが良くてアウトドア向きだと思います
ビール、焼酎で乾杯して小降りの中宴会が始まります。
本日夕食はちげ鍋です。Y野さんの深フライパンが今日もさえます。
暗くなり、だんだん盛り上がってきていい感じになってきました。
早起きしたせいか早々眠くなって、すみませんが今日は離脱です。
二日目
今日も朝から台風のような雨が降っています。仕方が無いのでメガホーンの中で朝食を作ります
今日の朝食はパンだったんですが、U川さんご持参の焼きそば6玉でおなかいっぱいになってしました。
でも、メガホーンに5人も入って炊事できるなんてすごいテントだと思います。
ここで私のカメラがダウンしてしまいました。ごらんのように雨で濡れてピンボケになってしまいます。
ここからは携帯のカメラで撮影します。
今日も一日雨なのでゆっくり朝食を食べてから白馬の道の駅トナカイ温泉でのんびりしました。
わたしは長湯が出来ないので早めに出てマッサージチェアーで腰をもんでます。
本日の昼食は「信州そばのぶっ掛け」腰があってうまかった
帰りにジャスコで今夜の食材を仕入れます
ここで朗報がありました。落とした財布が見つかりました。埼玉県警から電話がありました。
こんなこと有るんですね。人間捨てたものじゃ有りません。届けてくれた方に感謝。
キャンプ場に戻っても、降ったり止んだりの繰り返しです。Y内さんが不思議なタープを張っていました
五角形のタープです。ソロの時は特に活躍するでしょう。写真ではわかりずらいですが湖面に虹が出ています。
今夜もメガホーン内で夕食です。外は大雨が降っています。
色々料理あったんですが写真ははしょります。
テント前で蛍が飛んでいました。
三日目
今朝はいい天気です。やっと外で炊事できます。Y内さんが作ってくれた信州そば、ゆずたれが抜群でした。
Y野さんが作ってくれたベーコンエッグ、いくつか形が変でしたがクレージーソルトが効いていて美味しかった。
神流さんがやいてくれたバターロール少しこげていたけどうまかった。
今回も皆さんお世話になりました。たぶん近いうちに遭うと思いますが、その時まで。
管理人のおばさん、お世話になりました。
皆さんと別れ帰りに長野の善光寺によって来ました。今年は7年に一度のご開帳です。
本堂の中は撮影禁止なので撮ることは出来ませんでしたが、黄金の仏様が鎮座しておりました
川中島の八幡社にもちょっと寄っていました。ボランティアの人たちが当時の様子を説明してくれました
ここを過ぎると上越道です。自宅まで高速一本です。
次回は福島だろうナ。